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Takeshi Oryoji

Takeshi Oryoji

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プロフィール

登録日: 2024年10月8日

記事 (14)

2026年5月23日3
改めて 武術と武道
ここで改めて武術と武道の違い、またはこれらの関係性について記述したいと思う。繰り返すがこれはあくまで私が自分の武道を実践していく上での独自の考えである。 道のコンセプトによって日々何かを追求している人を求道者(きゅうどうしゃ)という。これまで武道とはその深い部分においての理解は未だ共有されていない身体活動であるということを述べてきたが、そもそも武道とは武の求道者一人一人がそれぞれの人生の中で培った価値観の中で見出した高みを目指すものだとするならば、それは共有することを前提としていないのかもしれない。 それは昔から今、今から未来へと既に完成されたものが継承されていくというよりは、今もそしてこれからもそこに携わる人たちの考え、哲学、趣向によって変化し続けていく状態にあるといえる。 日本には諸行無常という仏教の言葉がある。世の中のすべてのものは絶えず変化し、永久不変なものはないという意味である。武道という身体活動も、それぞれの時代に於いて武道家達の注ぐ情熱が様々な形でぶつかり合いながら、その規模や社会的な意義、または実践者それぞれの人生における意味などが絶えず変化していかなければならな...

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2026年4月12日4
現代における武の活動
たまに他の流派や他の種類の武活動に対して「あんな稽古をやってなんの意味があるのか」とか「あんな技、実戦では通用しない」などの批判を見受けることがある。しかし、それは今に始まったことではなく、歴史的な資料を紐解いてみてもそういった批判は散見する。 そういった批判には的を射ているものとそうでないものがあるように見える。目的を把握せず、形骸化してしまっている稽古には確かに意味はない。しかし、現代社会において武の稽古が実戦に通用するかしないかを基準に判断しようとする場合は注意が必要だ。 あらゆる分野の中で異なった種類の活動があり、それぞれにどんな意味があるのかは多角的に見なければ分からない場合があるし、またそうすることによってどんな活動にも意味を見出すこともできる。但し、そういった活動の意味は時代の変化と共に変化していく。武の活動に限って言うならば、時代の変化を的確に捉えた上で未来の視点に立って考えなければ、その意味を見失っていく可能性がある。武道と武術の違いについて考える場合も、まずこういった視点を前提にするべきだと思う。 武道、武術を稽古するということの目的は「強くなること」であるに...

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2026年2月22日2
自らの武を考える
あらゆる身体活動においてまず実践することが最も大事であり、それをなんと呼ぼうが大した問題ではないと考える人は大勢いるに違いない。自分の稽古しているものが武道なのか武術なのか、そんなことを考えるよりも今できるようになりたい技や自分が出来ない身体操作が目の前にあるのだからそれらに向き合えばいいのであり、武道か武術かの区別は評論家達に任せておけばいい、このような考えで日々稽古できている人はある意味幸運だといえる。私に関して言えば、私の実践しているものは武道であり武術ではない。私はむしろこの点については一生懸命に考えこだわってきたし、そうしなければならなかった。 これまで述べてきたように武道は道というコンセプトを前面に打ち出すことで武術から派生したが、こういった一連の変遷の過程を客観的に認識しようとする発想が日本国内で生まれることはなく、武術と武道の違いが明確化されることのないままに柔道によってオリンピック種目として世界へと広まっていった。それによって更にスポーツ的思想に飲み込まれ、武道という身体活動の全貌はますます霞に包まれていくことになった。...

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