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ブログ
現代における武の活動
たまに他の流派や他の種類の武活動に対して「あんな稽古をやってなんの意味があるのか」とか「あんな技、実戦では通用しない」などの批判を見受けることがある。しかし、それは今に始まったことではなく、歴史的な資料を紐解いてみてもそういった批判は散見する。 そういった批判には的を射ているものとそうでないものがあるように見える。目的を把握せず、形骸化してしまっている稽古には確かに意味はない。しかし、現代社会において武の稽古が実戦に通用するかしないかを基準に判断しようとする場合は注意が必要だ。 あらゆる分野の中で異なった種類の活動があり、それぞれにどんな意味があるのかは多角的に見なければ分からない場合があるし、またそうすることによってどんな活動にも意味を見出すこともできる。但し、そういった活動の意味は時代の変化と共に変化していく。武の活動に限って言うならば、時代の変化を的確に捉えた上で未来の視点に立って考えなければ、その意味を見失っていく可能性がある。武道と武術の違いについて考える場合も、まずこういった視点を前提にするべきだと思う。 武道、武術を稽古するというこ
Takeshi Oryoji
4月12日
自らの武を考える
あらゆる身体活動においてまず実践することが最も大事であり、それをなんと呼ぼうが大した問題ではないと考える人は大勢いるに違いない。自分の稽古しているものが武道なのか武術なのか、そんなことを考えるよりも今できるようになりたい技や自分が出来ない身体操作が目の前にあるのだからそれらに向き合えばいいのであり、武道か武術かの区別は評論家達に任せておけばいい、このような考えで日々稽古できている人はある意味幸運だといえる。私に関して言えば、私の実践しているものは武道であり武術ではない。私はむしろこの点については一生懸命に考えこだわってきたし、そうしなければならなかった。 これまで述べてきたように武道は道というコンセプトを前面に打ち出すことで武術から派生したが、こういった一連の変遷の過程を客観的に認識しようとする発想が日本国内で生まれることはなく、武術と武道の違いが明確化されることのないままに柔道によってオリンピック種目として世界へと広まっていった。それによって更にスポーツ的思想に飲み込まれ、武道という身体活動の全貌はますます霞に包まれていくことになった。...
Takeshi Oryoji
2月22日
武術と武道
武術と武道 日本には武道という言葉が生まれるはるか昔から、武術、または武芸という言葉が使われていた。そのあとで一度武道という言葉が登場するがそれは武士道という言葉とほぼ同意語としての意味で使われていたようで、現代において共有されている意味における武道とは少し異なっていたようだ。 現在、認識されている武道という言葉には道の思想によって実践するということが強調されている。道の思想とは、稽古を通した人生という時間の移り変わりを、あたかも進んで行く上で移り変わっていく道という視覚的なイメージに重ねたものであり人生という時間軸を伴う。ちなみに茶の湯や生け花などの文化では茶道、華道のように道という呼称が江戸中後期には既に定着していた。 武術を道という思想に基づいて実践するという考えは、柔道の創始者である嘉納治五郎が柔術の「術」という字を「道」に変えた辺りから広がり始めたと考えられる。その後、弓術は弓道、剣術は剣道と呼び始め、植芝盛平翁が合気柔術から合気道を創始した。それと同時代に沖縄から日本本土に伝わってきた空手にも道をつけて空手道と呼ぶようになった。これら
Takeshi Oryoji
1月19日
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