試合用剣道と昇段審査用剣道
- Takeshi Oryoji
- 2 日前
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今後、概念としての武道が広まっていくためには、定義された武道との二面性を否定しようとするのではなく、むしろこの二面性と共に発展させていくことが建設的かつ効果的であり、またそれ以外にはないだろう。両方を共存させその上で区別することによって、その違いが明確に理解されていき、その理解の度合いに応じて武道コンセプトを広げていくしかない。
この点においても剣道の仕組みは参考になる。剣道界には現在「試合用剣道」と「昇段審査用剣道」という用語が存在している。これらは剣道家の間でどこからともなく使われ始めた用語であると思われる。
剣道では常に「気、剣、体一致の剣」というのが理想の剣とされている。つまり、気迫そして精神的な充実、剣としての竹刀操作の正確さ、そして運足や姿勢や身体の力、という三つの要素が一体となって繰り出される技を決めることを目標としている。それはここで再三述べているいわゆる見事な一本のことだと理解してもらえばいい。
剣道界での公式な立場は一貫して昇段審査に臨むに当たってはもちろん、試合でもこの気剣体一致の剣が大切だと指導しておりそれは揺るがないが、実際の判定基準における気剣体一致の重要度は、試合と昇段審査では差が出ざるを得ない。なぜなら剣道といえども試合を進行させるために一定時間内に勝者を決めなければならないからだ。そうすると気剣体一致を判定する上での完成度に妥協が生じるのは仕方のないことだ。そういった意味で試合用剣道の基準は極めてスポーツ的な発想に近くなり、相手より先に有効打突部に当てれば勝ち、という単純構造的な要素が自ずと大きくなる。
一方昇段審査に臨む時の立ち合いでは気剣体一致の打ちは一切の妥協も許されない厳然たる基準として立ちはだかる。なぜこのような妥協のない判定基準を貫くことができるかというと、昇段審査における立ち合いでは勝ち負けの判定をしないからだ。礼法から始まり立ち合い、そしてまた礼法で終わるまで、まるで型の完成度を審査するように最初から終わりまでの所作、立ち振る舞い、着装までが審査対象となり、その中での立ち合いにおいて完璧な所作に貫かれた打ちとしての気剣体一致の打ちが求められる。一定時間内で皆審査され条件に満たなければ容赦なく不合格となる。極端に言うと合格者無しでも審査の運営進行にはなんの支障もない。このようにして気剣体一致の打ちの質だけを純粋に審査することができる。各段位の審査基準はそれに準じて当然厳しくなっていき、現時点での昇段審査対象の最高段位である八段の合格率は1%未満と言われている。
試合用剣道と昇段審査用剣道、これら併存する二通りの剣道は前回述べた定義化した武道と概念としての武道の違いに基づいていると言っていい。定義化した武道の中で概念としての武道を実践する自由はあるが、逆に概念としての武道のなかで定義化された武道は意味をなさない。たとえ試合では勝利の決め手となった面打ちだったとしても昇段審査では認められないということはしばしば起こる。試合で好成績を上げてきた剣士でも昇段審査で不合格になることによって壁にぶつかり、そこから概念としての武道の世界に足を踏み入れていくことになる。剣道家達はこのように二通りの剣道を通過することによってその奥深さを体験し理解する機会を得ることができる。
このようにして単純構造で分かりやすく広がりやすい試合用剣道に難解で奥の深い審査用剣道をタイアップさせたダブルスタンダードによって、剣道は概念としての武道による剣道を時間をかけてじっくりと広げることができるに違いない。
しかし、剣道界は公にこのダブルスタンダードについては何も言及していない。ここまで述べてきたことは剣道の現状をあくまで私の私見で述べたに過ぎない。こういった現状は、剣道界が意図して公式に構成した仕組みによって作られたものではなく、国際試合を開催し国際展開していく過程において、徐々に試合用剣道というもう一つの基準が慣習化されていき事実上のダブルスタンダードとして形成されていったものだ。私は試合用剣道と審査用剣道のダブルスタンダードを公式にシステム化する必要があると思う。
剣道は国際試合を開催し世界に普及させようという意図は見て取れるものの、オリンピック種目になることは拒否し続けている。それは概念としての武道による剣道を守りながら世界普及させようという方向性が暴走しないための徐行運転のように見える。今のところほとんどの国際試合において日本は優勝を独占できているため、現時点においては日本人の意向が反映された運営ができているため、概念としての武道による剣道は堅持出来ているように見える。しかし、この先のことを考えるとこの徐行運転は最終的な解決策ではない。先述した通り、試合とは勝者を判定しなければ進行できない性質を持ち、それは定義化された単純構造的要素を優先させざるを得ない。このような単純構造のなかでは今後も引き続き国際試合を展開していく以上、日本が王座を明け渡す時代が来る可能性は十分ある。もしそうなったとしても試合用剣道と審査用剣道のダブルスタンダードが公式にシステム化されていれば概念としての武道による剣道は消滅していくことはないばかりか逆に試合用剣道の普及が結果的に審査用剣道のプロモートつまり概念としての武道による剣道を普及することに繋がり、オリンピック種目化も含め試合用剣道を推進させるアクセルを踏み込むことができるようになるに違いない。