top of page

ブログを始めるに当たって 

剣道のセミナーに参加して


先日、マルセイユで行われた剣道のセミナーに参加してきた。日本から3人の8段の先生方が招かれ110名が参加するという大規模なセミナーだった。

私は約二年前に母国である日本を離れスイスに移住した。それまでは東京で剣道の稽古をしていて3段まで取得していた。剣道の奥深さに触れこれから長い年月をかけてやれるところまで剣道を深めてみようと一度は思ったが、日本を離れることになりその時点で剣道に対するその思いは一度断念した。それでも防具一式を手放す気にもなれず一応持ってきてはいた。そのおかげで、知人を経て今回このセミナーに招待されたとき幸運にも参加することができた。

二年振りに剣道の対人稽古の感覚を味わった。そして私が目指す武道を実現するために剣道から学ぶことは非常に重要であるということを改めて実感した。私が専門としている武道の分野は素手だが、大雑把に言うと、私が日々考え稽古し目指しているテーマは、素手武道の分野で剣道の世界観を実現したいというものだ。ではここで言う剣道の世界観とはどういうもので、剣道から学ぶべきものとは具体的にはどのようなことか、それを反映した素手武道の形態はどうあるべきなのだろうか。

このブログでは、こういったことについて私が考えていること、またそれ以前にこのようなテーマに至る過程で私が考えてきた様々なことについて共有してみたい。

 
 

最新記事

すべて表示
試合用剣道と昇段審査用剣道

今後、概念としての武道が広まっていくためには、定義された武道との二面性を否定しようとするのではなく、むしろこの二面性と共に発展させていくことが建設的かつ効果的であり、またそれ以外にはないだろう。両方を共存させその上で区別することによって、その違いが明確に理解されていき、その理解の度合いに応じて武道コンセプトを広げていくしかない。 この点においても剣道の仕組みは参考になる。剣道界には現在「試合用剣道

 
 
概念としての武道と定義された武道

嘉納治五郎が夢見た柔道の国際化はオリンピックという形で実現した。しかし、それから約60年経った今、国際化された柔道は完全に嘉納治五郎の柔道思想を失ってしまうという皮肉な状況を招いた。だが、この現状をネガティブに捉える必要はない。私は前項で、「スポーツ的な考え方を知らなかった...

 
 
日本人柔道家の苦悩 

さて、これまでスポーツと武道の違いについて述べてきたが、このテーマについては今回記述するトピックについて明らかにされるまでは決して完結することはない。そのトピックとはオリンピックという世界最大で最高峰のスポーツイベントに武道の種目の一つである柔道が参加しているという状況をど...

 
 

KEN
RYU
BUDO

Istituto di arti marziali
dal 2024
CH - Centovalli, Intragna

fb885c32-dd0f-40b8-b735-380257b28475_edited_edited.png
  • Instagram

Takeshi Oryoji
kenoryoji@gmail.com
+41 79 522 22 07
 

© 2024 by ミレナ

bottom of page