武術と武道
- Takeshi Oryoji
- 5 時間前
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武術と武道 日本には武道という言葉が生まれるはるか昔から、武術、または武芸という言葉が使われていた。そのあとで一度武道という言葉が登場するがそれは武士道という言葉とほぼ同意語としての意味で使われていたようで、現代において共有されている意味における武道とは少し異なっていたようだ。 現在、認識されている武道という言葉には道の思想によって実践するということが強調されている。道の思想とは、稽古を通した人生という時間の移り変わりを、あたかも進んで行く上で移り変わっていく道という視覚的なイメージに重ねたものであり人生という時間軸を伴う。ちなみに茶の湯や生け花などの文化では茶道、華道のように道という呼称が江戸中後期には既に定着していた。 武術を道という思想に基づいて実践するという考えは、柔道の創始者である嘉納治五郎が柔術の「術」という字を「道」に変えた辺りから広がり始めたと考えられる。その後、弓術は弓道、剣術は剣道と呼び始め、植芝盛平翁が合気柔術から合気道を創始した。それと同時代に沖縄から日本本土に伝わってきた空手にも道をつけて空手道と呼ぶようになった。これらの呼称を変える潮流に倣い武術から武道に変化するという形で現代における武道という言葉が認識されるようになった。この一連の過程に少し想像を巡らせてみたい。 長い間、武芸や武術と呼ばれるものを稽古、訓練していた侍や兵士達は誰もその呼び方など気にしなかったに違いない。しかしたとえ気にしなくとも長い年月の間に時代は変わり、社会情勢も変わり武芸、武術と呼ばれているものの稽古の目的、意味、取り組み方も変わっていった。それは現実的な状況を想定したより実戦的な稽古から、次第に「見事な一本」を追求しそれを実現するための稽古への変化だった。そのために自分の生き方、人格までをも見つめ直していく、いわゆる道としての取り組み方に自然と変化していき、呼称を術から道に変える流れができる頃には既にその当時の武術家達の稽古の方向性は「道的」になっていたに違いない。 嘉納治五郎は自ら創始する団体の活動目的を「精力善用」「自他共栄」などの言葉と共にその思想を明確化し柔術という呼び名から柔道に変えた。術を道に変えることが次第に広まっていくと実践者がそれまで自然と実践していた道という取り組みのコンセプトを客観的に自覚し始めた。今ではこの道というコンセプトはある特定の既存のカテゴリーのみに留まらず、建築、工芸、調理、スポーツ、芸術、などあらゆる分野において用いられるようになり、追求する一つの道筋を見出したものに対して「何々道」と称してそれぞれの生活の中でコミットしていくようになった。このようにして日本では道というコンセプトは浸透していった。 一方、それによって術という言葉と取り組みが消滅したかというとそういうわけではない。 剣道、柔道は先述の通り道の思想を伴っているという意味があるが、それと同時に新たなカテゴリーの名称でもあり、それまでの剣術や柔術とは明らかに異なるものである。そのため剣術、柔術という言葉、そしてそれまで伝えられてきた技の継承もそれまでの術という枠組みの中で継続されている。だからといって、剣術家や柔術家その他の武術家達に道の思想がないわけではない。先述の通り、嘉納治五郎が術を道に変えるという潮流を作る前から既に武術家達は道の思想を伴った稽古を無意識のうちに行っていたはずだ。つまり、武術と銘打っていても道のコンセプトに則っていれば、それは武道として実践していると言えるし、反対に自分自身の稽古内容がコンセプトとしての武道に即していなければ、たとえ武道のカテゴリーに属していたとしてもそれは実践内容としては武道とは言えないということになる。 このように、もともと武術と呼ばれていたものの実践内容を武道としてコンセプト化し道という思想を意識化させたことにより、現在では武道、武術の区別は非常に曖昧な状態で併存し、ほとんどの人が自分の稽古しているものが武道であるか武術であるかの区別を情緒的な根拠に委ねるという現状に至った。