剣道の地稽古
- Takeshi Oryoji
- 9月7日
- 読了時間: 3分
このブログを始めるに当たってまず剣道のことに触れたので、しばらく剣道のことをテーマにしようと思う。
年老いてなお衰えることなく冴えわたる技を磨き続けることができるというのが武道の可能性であり魅力であるとよく言われる。剣道はそういった特徴が比較的鮮明に表れている種目だと思う。剣道のそんな側面を少しだけ覗いてみよう。
基本や型で稽古した技をお互いに自由な攻防の中で試し合う勝負形式の稽古を剣道では地稽古と言う。ちなみに空手では自由組手、柔道では乱取りと呼ばれるものに相当する稽古だ。例えばこの地稽古を25歳三段の剣士と75歳八段の剣士(先生)とがやるとどうなるか。25歳の剣士(仮称拓馬)の視点でみてみよう。
蹲踞の姿勢でお互いに一礼し立ち上がると同時に勝負が始まる。相手に対して正面を向き竹刀を持った両手を正中線上にある丹田の前あたりに据える。剣先の延長線上に相手の目を捉える角度を維持する、いわゆる正眼と呼ばれる中段の構えだ。約120cmある両者の竹刀による240cm弱を隔てた間合いが出来上がる。相手の先生も同じ中段の構えなので常に剣先が触れ合っている。拓馬は気合と共に少し踏み込みそこから思い切って飛び込んで面を打とうとした。しかし、拓馬の動きとほぼ同じタイミングで相手も面打ちの動きに入り最後は拓馬の面は逸れ、相手の竹刀が拓馬の面を捉えた。
「今のはたまたま相手の動き出しと自分の動き出しが揃ってしまい、相手の面がたまたま自分より少しだけ速く届いただけだ、今度はじっくりタイミングを見極めて相手より早く動き出そう」
拓馬はそう言い聞かせてまた間合いを十分に取り直した。今度は少し踏み込んだら少し退き、圧力をかけたら緩めるようにして相手を揺さぶったあとに面を打ち込んだ。しかし、相手はまたもやまるで鏡のように拓馬と一緒に動き出し、そしてまたもや拓馬が相手の面を捉えるよりも速く拓馬の面を捉えた。そして更に2,3回同じことを試みたが結果は全く同じだった。そうしているうちに拓馬は、自分が面を打ちに行った瞬間に既に相手の面の方が先に当たってしまうだろうということが分かるようになった。そして相手が自分と同時に動き出すのはもはや偶然ではないということを悟った。
「相手は自分の動き出しに合わせて動き出しているんだ。ならば今度はこっちが相手の動きに合わせてやろう。」
拓馬は、相手が動き出すまで待ち、動き出した瞬間に相手よりも先に面を打ってやろうと思った。しかし、相手はなかなか打ち込んでこない。そのうちもうこれ以上待つと逆に反応できなくなってしまうという焦りが出てきて思わずまた自分から打ち込んでしまった。そしてまたまたその動きに合わせられてしまい相手の竹刀が拓馬の面を捉えた。
拓馬はとうとう自分から打ち込んでも打たれ、相手の動きに合わせようとしてまた打たれるという繰り返しになりどうすることもできなくなり追い詰められた。
やがて75歳の先生が軽やかに呼吸しながら「この辺で十分でしょう。終わりましょう。」という意味で拓馬に元の位置に戻るように促し、25歳の拓馬は乱れた息を必死に整えながら蹲踞して一礼し地稽古が終わった。