道の実践の大前提
- Takeshi Oryoji
- 2025年9月7日
- 読了時間: 3分
年老いて尚、磨き続けることのできる身体能力を引き出すにはどうすればいいのか?そのための条件とは一体どういうものなのだろうか?剣道ではそれが実現されているというが、果たしてそれは他の身体活動の分野でも実現できる不偏性を持つものなのだろうか?例えば、素手の格闘技でそういったパフォーマンスを実現することが可能なのだろうか?
こういった問いに対して、そんなことがあり得るはずがないと最初から鼻にもかけず否定する人がいるに違いない。特に実際に日々体を張って真剣に稽古している素手格闘家達なら考えるまでもなく実感を伴ってそう答えるだろう。
しかし、この問題を考える上で大前提として理解するべき大事なことは、それはもはや既存の規定や方法の範囲内での話ではないということだ。若さによる膨大な身体エネルギーをぶつけ合う素手の格闘技に年配の人が太刀打ちできないのは自明であり実際にそういった場面はいくつも見てきた。つまり、もう一つの潜在的身体能力を、既存の格闘技やその他の身体活動の概念の中で見つけようとしても無理だということは至極当然のこととして既にはっきりしている。
ここで考察しようとしているものは、これらの既存の規定や概念の外側で展開されているということが大前提であるということをまず理解してもらわなければならない。それは例えば、走る競技について100メートル走のような短距離を全力疾走する競技だけで走る能力について考えるのではなく、42.195キロの距離で競うマラソンのような長距離走という競技の中で高いパフォーマンスを発揮するための方法について考えようとするようなものだ。その時に、短距離を全力疾走することだけが走ることだと決めつけてしまっては長距離走の方法を考えるためのスタート地点にさえ立つことが出来ない。
同じ走る速さを競うにしても、100メートルと42.195キロという異なった規定ではその方法論は全く違ってくるのは当然のことだ。100メートル走でペース配分に気を付けて走る人はいないだろう。一歩も無駄にすることなく全ての運足に対して最速を目指してトレーニングするに違いない。それに対して、マラソンではまず確実に完走できるエネルギー消耗ペースを担保した上で最速を目指そうとする。つまり、今走っているところからゴールまでの距離を常に意識し、想像し、計算しながら今のベストな走り方を導き出さなければならない。
言うまでもなくこのマラソンの42.195キロという距離は、それぞれの人生という時間を距離で例えたものだ。つまり死ぬまでの自分の人生を俯瞰的にまたは客観的に見ながら進んで行かなければならない。これが道というコンセプトと共に実践するということに繋がってくる。
まだ出発したばかりで先が長いうちは、先を見据えるということの難易度は高い。3か月継続して機能した稽古法が1年後も同様に機能しているかはわからないし、1年続けられたからといって、これこそが最高の方法だと喜んでみても10年経つとまた変化してくる。この道は一度きりしか進んで行けないし、引き返したりリセットすることもできない。そして自分の身体も一つしかない。道として何かを実践する上で、健康体を維持することは最低条件となる。そして自分の身体との意識を切り離し盲目的にある方法にどっぷりと身を投じるようなやり方はとても危険である。
まずは、長距離走という種目があるということを理解するところから始めよう。